博士のついたひとつの嘘(0:0:3)
【配役】
◆リンデンバーク:性別不問。
今やこの博士の顔を知らぬものはいない。テレビでは博士の声明で放送が繰り返されている。「3日後、世界は滅びる」と。
◆ゲイチス:性別不問。
アメリカ合衆国、大統領閣下。
◆RAT:性別不問。
名札には「R」「A」「T」とだけ書かれている。ラットと読むのか、アールエーティーと読むのか。ひとけのないカジノで1人、ただ淡々とゲームを進めるディーラーである。
0:激しく口論する声が聞こえる。仰々しい受話器を片手に、博士が震えた声で言う。
リンデンバーク・コヴァルスキ:では、私に人類を見殺しにしろと
リンデンバーク・コヴァルスキ:そう仰られている訳ですね。
ゲイチス・アッセンブリ:そうは言っていないだろう、コヴァルスキ。
ゲイチス・アッセンブリ:人聞きの悪い事を言うな。
リンデンバーク・コヴァルスキ:ならその言葉の意味はなんだと言うのです?
ゲイチス・アッセンブリ:それは、わかるだろう、君も大人だ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:大人であれば、その言葉を飲み込めると、そういう事ですか。
ゲイチス・アッセンブリ:例え変人科学者でも、それくらいはわかるだろう?
リンデンバーク・コヴァルスキ:……それは、この合衆国の総意ですか、大統領。
ゲイチス・アッセンブリ:いいや。
リンデンバーク・コヴァルスキ:では、もっと上、そう捉えてよろしいのですね?
ゲイチス・アッセンブリ:ああ、その通りだ。察しが良くて助かるよ、博士。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……私は休暇を取らせていただきますよ、大統領閣下。
ゲイチス・アッセンブリ:なぜ?
リンデンバーク・コヴァルスキ:当たり前でしょう、私にも家族は居ます。
ゲイチス・アッセンブリ:どこだったかな、君の生まれは。
リンデンバーク・コヴァルスキ:ポーランドの北、グダニスクです。
ゲイチス・アッセンブリ:海辺の近い、古くてよい街、だな。
リンデンバーク・コヴァルスキ:ええ、バルト海に面した小さな街ですよ。
ゲイチス・アッセンブリ:許可できない。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……何故、です?
ゲイチス・アッセンブリ:わからないかね?
リンデンバーク・コヴァルスキ:ええ、わかりませんね。
ゲイチス・アッセンブリ:君には今回の件、責任をとってもらう必要がある。
リンデンバーク・コヴァルスキ:なっ……
ゲイチス・アッセンブリ:当然だろう?君が責任者なのだから。
リンデンバーク・コヴァルスキ:では、尚のこと、真実を世界に発表するべきじゃないかね?
リンデンバーク・コヴァルスキ:ゲイチス・アッセンブリ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:今が、正に、世界の終わりの一歩手前であると。
ゲイチス・アッセンブリ:敬語を使え、コヴァルスキ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:納得がいくか、そんなもの。
リンデンバーク・コヴァルスキ:12120発だ、12120発の全世界にある核が一斉に発射する。
リンデンバーク・コヴァルスキ:来(きた)る9月30日、その日に全てがだ。
ゲイチス・アッセンブリ:その核整備システムの大本を作成したのは君だ、コヴァルスキ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:だから、責任を取る必要があるのだろうが!
ゲイチス・アッセンブリ:君は今、どこにいる。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……何?
ゲイチス・アッセンブリ:君は今どこにいると言っている。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……質問の意図が読めないな、大統領閣下。
ゲイチス・アッセンブリ:ネバダだ。君がいるホテルは、ネバダ州ラスベガスにある。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……だから、何だと言うんだ?
ゲイチス・アッセンブリ:君は「アメリカ国民」なんだよ。リンデンバーク・コヴァルスキ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……そこまで墜ちたか、ゲイチス。
ゲイチス・アッセンブリ:なんとでも言えばいい、私は私の国を守る必要がある。
リンデンバーク・コヴァルスキ:何をさせようと言うのだね。
ゲイチス・アッセンブリ:君のホテルから一番近いテレビ局は……KTNVだな。
ゲイチス・アッセンブリ:そこに行き、発表するんだ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:何を。
ゲイチス・アッセンブリ:噂となっている核システムの不備は無かった、と。
ゲイチス・アッセンブリ:それが君のとるべき責任だろう、コヴァルスキ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……今、逃げ出せば、助かる可能性だってある。
ゲイチス・アッセンブリ:それをするのは、必要な人間だけでいい。
リンデンバーク・コヴァルスキ:あんた、世界でも征服するつもりかい。
ゲイチス・アッセンブリ:どうとでも捉えたまえ。
ゲイチス・アッセンブリ:明日、ニュース特番を手配させる。そこで発表を行え。いいな。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……断ると言ったら?
ゲイチス・アッセンブリ:何かの手違いで、ポーランドの北が火の海となるかも知れないな。
リンデンバーク・コヴァルスキ:ゲスめ。
0:ラスベガス 「ウイングホテル」地下 カジノスペースにて
RAT:……久しぶりにお会いして、最初の話題がそのような内容ですと流石の私も困惑いたしますね。
リンデンバーク・コヴァルスキ:すまない、アールエーティー。こちらで信用できる相手が君しか居なかったものでね。
RAT:ラット、でよろしいですよ、コヴァルスキ様。
リンデンバーク・コヴァルスキ:いいや、君はアールエーティーだろ。私が君をラットと呼ぶ時は、イカサマを仕掛けて欲しい時だけだ。
RAT:……ふふ、懐かしいですね。まだこちらに来たばかりの時はふたりでカジノを唸らせたものです。
リンデンバーク・コヴァルスキ:楽しかったな、あの頃は。
RAT:……大丈夫ですか?
リンデンバーク・コヴァルスキ:……大丈夫に見えるかい。
RAT:いいえ、まったく。
リンデンバーク・コヴァルスキ:そうだろうね、私も同感だよ。
RAT:……コヴァルスキ様、遊んでいかれませんか?
リンデンバーク・コヴァルスキ:……流石に、そんな気分じゃないな。
RAT:そんな気分じゃないからこそ、ですよ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……何をするかね。
RAT:そうですね、簡単なコイントス、表か裏を当てるだけのゲームはいかがでしょう?
リンデンバーク・コヴァルスキ:……ずいぶん簡単なゲームを提案するんだな?テキサスホールデムは?
RAT:テキサスホールデムでも構いませんが、おそらくそれでは私の一人勝ちとなります。
リンデンバーク・コヴァルスキ:言うようになったじゃないか。
RAT:ええ、これでも私、それなりに腕のたつディーラーですので。
リンデンバーク・コヴァルスキ:コイントスなら、確率は半々である、と?
RAT:ええ、それであれば、コヴァルスキ様にも勝算があると思いますが。
リンデンバーク・コヴァルスキ:言うようになった。では、コイントスでゲームを始めようじゃないか。
リンデンバーク・コヴァルスキ:負けたほうがこのカジノで一番高い酒を奢る、それでどうだ。
RAT:異存ございません、それではコインを投げます。
リンデンバーク・コヴァルスキ:表だな。
0:コインを確認する。
RAT:裏ですね。
リンデンバーク・コヴァルスキ:イカサマしてないだろうな?アールエーティー。
RAT:しておりますよ、当然。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……ずいぶんと吐くのが早いじゃないか?
RAT:カジノというものの殆どが、ほんの少しだけ、嘘をついているのです。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……ほんの少しだけ、嘘?
RAT:ええ。このコイン。表側のほうが若干重くなるように作られています。
RAT:あちらに設置しているスロット、あれも、若干、我々カジノ側が得をするように作成されています。
リンデンバーク・コヴァルスキ:いいのかい、そんなこと暴露してしまって。
RAT:構いません、私はその話がしたいのですから。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……何か企んでいるね、「ラット」
RAT:カジノ側が細工をしているパーセンテージ。
RAT:これは、全体で言う所の3%。3%がカジノ側に有利になるように作られています。
リンデンバーク・コヴァルスキ:3%。
RAT:ええ、その3%が、我々にとっての収益となっていき、我々ディーラーはそれを守る為に存在するのです。
リンデンバーク・コヴァルスキ:へえ、それは知らなかったな。
RAT:迷っておいででしょう、コヴァルスキ様。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……。
RAT:一体何年、共にイカサマを繰り返してきたとお思いですか。コヴァルスキ様。
RAT:私たちは、ポーランドでは悪童と呼ばれた名コンビでしたでしょうに。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……弱音を、吐いてもいいかい。
RAT:当然です、コヴァルスキ様。今の私は「ラット」でも「アールエーティー」でもない。
RAT:一人の「シモン・ノヴァーク」としてお聞きしますよ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……ありがとう、シモン。
RAT:……いいんです。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……怖いんだ、シモン。
RAT:ええ、そうですよね。
リンデンバーク・コヴァルスキ:私が作ったシステムで、エラーが出た、世界を、壊してしまう程の大失態だ。
RAT:……ええ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:世界を、平和にするはずの技術で、絶対にでてはいけないエラーだった。
リンデンバーク・コヴァルスキ:私が、私がすべてを壊すんだ、全人類の命を脅かす。
RAT:……そうですね。
リンデンバーク・コヴァルスキ:私が、魔王か。それとも、破壊神か。私は、ただの科学者だった、ただのエンジニアだったはずだ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:だが、私の、たった一つのミスで、この世界を、終わらせてしまう。
リンデンバーク・コヴァルスキ:怖いんだ、恐ろしい、何を、どう考えても、どうすることもできない、謝る事しかできない。
リンデンバーク・コヴァルスキ:だが、だが、それ以上に。
RAT:……はい。
リンデンバーク・コヴァルスキ:救えるかもしれない命を、保身のために救わない事のほうが怖い……!
RAT:そうですね、コヴァルスキ様。
リンデンバーク・コヴァルスキ:だが、どうすればいい、私は、真実を伝えるべきなのか。
リンデンバーク・コヴァルスキ:すべてを伝えて、私がすべての非難を浴び、そうして、故郷はどうなる。
RAT:……コヴァルスキ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:シモン、どうすればいい、私は、私は何を守ればいい。
リンデンバーク・コヴァルスキ:この国の名誉か?国か?人類か?私自身か?
RAT:耐えられるわけないよね、コヴァルスキ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:苦しい、何も、もう何も考えたくない、私はどうすればいい。
RAT:いいよ、泣きなよ、ここでくらい、泣いたらいい。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……すまない、すまない、シモン。
RAT:なんの為のVIP席なんだい、こういうときに誰にも見られない為に、だろう?
リンデンバーク・コヴァルスキ:う……うう……
RAT:……それでも、わかるよ、コヴァルスキ、私はわかる。
RAT:あなたは、一番の最善を選ぶ。
RAT:それができる人だと、私は知ってるよ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:シモン……。
RAT:あなたと一緒に遊んだ、数数のゲーム。イカサマ達。
RAT:失敗したことなんて、無かったでしょ?
リンデンバーク・コヴァルスキ:……そう、だったな、いつだって、私達はリンプインで勝ってきた。
RAT:……そうですよ、コヴァルスキ様。
RAT:初心者の振りをして、損をするBETをするのがリンプイン。
RAT:そうして損を取る事で、私たちはいつだって利益をあげてきた、そうでしょう?
リンデンバーク・コヴァルスキ:……そうだな、その通りだ。
RAT:いい眼になっていますよ、コヴァルスキ様。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……お前は、国に帰った方が良い、シモン。
RAT:いいえ、コヴァルスキ様。相棒を置いて逃げ出すようなこと、私にはできませんよ。
RAT:私は、このカジノであなたと遊ぶのが好きなんですから。
0:テレビ局 KTNV 報道フロア
リンデンバーク・コヴァルスキ:(モノローグ)
リンデンバーク・コヴァルスキ:私は、決意した。私がすべきことを。
リンデンバーク・コヴァルスキ:損をして、得を取る、私たちの好んだゲームと同じ。リンプインだ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:真実を伝える事で、私への非難は、恐らくとてつもない事になるだろう。
リンデンバーク・コヴァルスキ:石を投げられ、罵声を浴びせられる程度であれば優しいほうだ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:だが、それでも構わない。私がすべきことは、少しでも多くの人類に時間を与える事だ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:そう思っていた、矢先だった。
0:けたたましく鳴る着信音。
ゲイチス・アッセンブリ:準備はできたかい、博士。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……ああ、大統領閣下。直前に電話をかけてくるとは、あなたもお人が悪い。
ゲイチス・アッセンブリ:何、少し、釘を刺しておこうと思ってね。
リンデンバーク・コヴァルスキ:釘?
ゲイチス・アッセンブリ:何も知らないと思っている所申し訳ないがね、コヴァルスキ博士。
ゲイチス・アッセンブリ:全て筒抜けなんだよ、こちらにはね。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……何の話だい、ゲイチス。
ゲイチス・アッセンブリ:そのホテルは、誰が手配したものか忘れたのか?
リンデンバーク・コヴァルスキ:……シモンに手を出すなよ。
ゲイチス・アッセンブリ:誰があんな小物。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……じゃあ?
ゲイチス・アッセンブリ:今し方、空軍大佐より連絡が入ったよ。
リンデンバーク・コヴァルスキ:……なにを……。
ゲイチス・アッセンブリ:君の実家は、黄色い屋根のバルト海に面した家だったな?
リンデンバーク・コヴァルスキ:なにを、何をした。
ゲイチス・アッセンブリ:住んでいるのは、老齢の母君だけ、だったかね。
リンデンバーク・コヴァルスキ:何をしたゲイチス!!!!貴様、何を!!!!
ゲイチス・アッセンブリ:この後ニュースでも流れるんじゃないか、訓練中の戦闘機が一台、その家に突っ込んでしまったと。
リンデンバーク・コヴァルスキ:お前……。
ゲイチス・アッセンブリ:パイロットは無事脱出、軽傷で済んだ。
ゲイチス・アッセンブリ:住民は安否不明、爆発した戦闘機がそのまま周囲30メートルを巻き込む火災を発生させたらしい。
リンデンバーク・コヴァルスキ:なんて、なんてことを……そんな……
ゲイチス・アッセンブリ:「次は、街すべてが、そうなる」
リンデンバーク・コヴァルスキ:あ……ああ……あああああ……
ゲイチス・アッセンブリ:「発言には、気をつけたまえよ、コヴァルスキ博士。」
リンデンバーク・コヴァルスキ:なんて、なんてことを……ああ、私は、私の……そんな……
0:RAT モノローグ
RAT:そうして、リンデンバーク・コヴァルスキの心は壊れていった。
RAT:人知れず、誰にもその苦しみを理解されずに、博士の心は壊れていった。
RAT:世界を壊してしまう重責と、世界を守らなければいけない責任。
RAT:そして、自身の持ち合わせた愛のすべてを天秤にかけて。
RAT:なにを決めるまでもなく、その天秤が壊れたのだろうと思う。
RAT:何も知らない報道キャスターと司会が博士を呼ぶ。
RAT:カメラが博士を追い、「政府からの重大発表」というテロップが流れる。
RAT:眼の焦点があっていない、博士は絞り出すように、こう発した。
0:博士のついた嘘
リンデンバーク・コヴァルスキ:……皆さんに、お伝えしなければならない事があります。
リンデンバーク・コヴァルスキ:(深い深呼吸を一度)
リンデンバーク・コヴァルスキ:この世界は、来る「10月3日」に、滅亡することが決まりました。
リンデンバーク・コヴァルスキ:今、すぐに、核に備えて、逃げられる人は、逃げる選択を。
リンデンバーク・コヴァルスキ:それが、叶わない人は、最後に、やり残した事を、行うように。
リンデンバーク・コヴァルスキ:繰り返します、この世界は、来る「10月3日」に……。
0:エピローグ
RAT:そうして、博士は一つの嘘をついた。
RAT:その眼は、憎しみや、悲しみや、恐らく私には想像もできない
RAT:恐ろしい感情を宿していたように思う。
RAT:私に出来ることは、壊れた博士の心を、守るだけ。
RAT:博士が私を「ラット」と呼ぶのであれば、それに従うだけ。
RAT:こうして、博士のついた1つだけの嘘は、スニーカーシューズに泥をつけていった。
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