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3.16ギジン屋「文学奴隷」完了について

こんばんわ、にょすけです。

ギジン屋の門を叩いて「文学奴隷編」を無事書ききる事ができました。

なので、それについて少し思っていた事や、今書きたいことなどを

文章にできればいいな、とこのメッセージを記入しています。


まず、第2話「文学奴隷」について。

文学奴隷編と名前をつけているくらいなので、この第2話がすべての始まりとなるわけですが

内心ひやひやしながら書いた事をよく覚えています。

この「文学奴隷」というエピソードで伝えたかった事は単純に

「表現者という物の憐れ」です。

どんな状況になっても、どんな気持ちであっても表現をする事は辞められず

すべてを糧にして、また表現を続けてしまう。

その「苦悩」も「滑稽さ」も少しでも書けていたらよいな、と思いながら

書き続けていました。

なぜ、ひやひやしたのか。

作中で出てくる「0から作ることなど出来やしない」という発言、

これは、恐らく多くの「物書き」の皆さんに共感を得ることができ

なおかつ逆に、物書きである誰かを刺す事になると思ったからです。

そして何より、「にょすけ」そのものが「文学奴隷」であり

自身を切り売りしなければ、物事を書くことができないからこそ

「自身」をさらけ出してしまう事の怖さを持って、書き出していました。

先野橋という男は、ほぼ作者本人の投影であると思っていただいても

いいのかもしれません。


【先野橋 陽介】

なぜ物語の主役とも言える人物を、この名前にしたのか。

なんでもかんでも「先延ばし」にしてしまう僕の性格と、

「にょすけ」の名前から「陽介」を作り出したのは、

アーカイブを聞いたかぎり何人かの人にバレていたように感じます。

「才能無し」と「先延ばし」の語感が似ていた事も、理由の一つです。

かなり昔、学生時代に僕は美術部の先輩に恋をしていました。

今でも、あの夕陽の差す美術室の真ん中で、自分でカンバスを組み立てて

布地をトンカチでたたきつける先輩の長い髪と、

油絵で汚れた、長めのスカートの裾を思い出します。

僕はその先輩にあこがれて、これから廃校となる、我が母校で

最後まで美術部を存続させる為に、一人部員・唯一の部長として

美術部を盛り上げていくのですが、これはまた別のお話。


夕陽=恋の終わり、というのが僕の中でセオリーとして出来上がったのは

その美術部部長の影響が大きいのです。


結局その部長への淡い恋心は、伝える事もできずに

ただただ、僕は「絵」というものにその憤りをぶつけていきます。


携帯小説というものを書き始めたのも恐らく、この時であったと思います。


表現というものがどれだけ尊く、そしてどれだけ残酷であるのかを

弱い17歳のにょすけは犇々と感じていくのです。


高校生のにょすけも、学生時代の「陽介」も

大きくは変わりませんでした。ただ唯一違うとすれば

「陽介」は追い続けたのです。「梔子」という女性を。


【恋愛というもの】

と、いうよりも「愛」と「恋」の違いはなんなのか。

という話になるかもしれません。


「恋とは、相手との幸せを願うこと。愛とは、例え地獄に落ちたとしても構わないと思うこと」


この考え方が、根底にあります。


↑上記は、にょすけが書いている朗読詩「腸」です。

この詩そのものが、私の恋愛観といっても間違いでは無いと思います。

そのバックボーンから、「文学奴隷」に関連する物語は

「地獄」をイメージさせる物事を用いる事が多いのです。


獄門京太郎…地「獄門」からの引用、「獄門」と呼ばれる江戸時代後期の死刑方法

奈落の底でも…奈落=宵の国、地獄と同意義

望みを棄てよ…戯曲「地獄の門」に出てくる詩の一節


と、なるとおかしい事が一つ発生します。


↑ギジン屋の門を叩いて①冥府に落ちる。


ギジン屋の第一話「冥府に落ちる」

この「冥府」というものも、「地獄」と同意義になります。

ここで出てくる共通点が「恋愛」となります。

弦夜と「恋」に落ちた燈子。

梔子と「愛」に落ちた陽介。

この二つの「恋愛」が今後の「ギジン屋」の物語に大きく関与してきます。


第一話「冥府に落ちる」は、物語の始まりでもあり

「地獄」の始まりでもあるわけです。


【要 梔子】

梔子という花の由来が「私は幸せ者」であると言うことを知ったときから

絶対に何かの物語で使ってやろうと思っていた登場人物です。


耳が聞こえぬ小説家。

この「耳が聞こえない」という設定は、今回の「先野橋」という主人公を作り上げた

際に絶対に、切っても切り離せぬものであると考えていました。

にょすけの中の人は、聴覚障碍者の両親に育てられ、生きてきたこの幾数年

「聴覚」というものに悩まされて過ごしてきました。

両親から、「何故お前は耳が聞こえる」と不条理に皿を投げつけられた事もあります。


「聞く力」が欲しいと、希う両親。


「聞く力」など要らなかった、と嘆く幼少期にょすけ。


そのあたりの葛藤というか、なんというか。

苦しみみたいなものが「死体に梔子」で滲み出ていたらよいなぁと思うばかりです。


「要」という苗字は、「スオ」と呼ばれる漢字から形成されていきました。

「女」というもの、「物書き」というもの。

そういった要素がぐでんぐでんに煮込まれて、結局は「滑稽で憐れな文学奴隷のひとり」という

キャラクターに仕上がっていればよいな、と思っています。



【今後の文学奴隷二人】

先野橋と要は、これ以降もう出てこないの?というお声をよく耳にします。

先に結果だけお伝えすると、「出てきます」。



【ギジン屋今後の展開】

「冥府に落ちる」で始まったギジン屋の物語。

第一章として位置付けている「文学奴隷」が終わりを迎えました。

どれだけそこが奈落(地獄)の底でも、二人はその手を離さないことでしょう。


しかし、「冥府に落ちたのは、二人だけではないですよね」


何より、一番に「冥府に落ちて」いる人物……「燈子」の存在が

まだ宙ぶらりんとなっています。


「肢体を蹴る」にて、まだみっともなくも生きている事がわかった「燈子」は

まるで呪われたかのように、「渦中」の人物へと「成って」いきます。


地獄の「門」で待ち構える「ベルゼブブ」

その悪魔もまた、冥府に落ちている一人です。


文学奴隷編

蠅編

火車編

リビングデッド編

???編

完結編


といった具合の流れになるような気がしています。

現時点で既に「誰が一番の黒幕なのか」をアーカイブや、エンドトークでお話されている方を

何人か知っていますが「80点です」とだけお伝えしておきます。


今後も、「雑貨屋 ギジン屋」をなにとぞよろしくお願い致します。

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