大家(だーじゃー)(朗読)
その記憶は、いつも、泣きそうになる自分と。
二度と戻っては来ないのであろう、君の
はちみつ揚げパンの匂いと、土埃(つちぼこり)の匂い、そして
ぽおぽおと、別れの挨拶みたいに鳴る船の汽笛(きてき)の音で途切れている。
会いたい。君に会いたい。その寂しさと、焦り。
それだけがいつも脳裏にはりついて、剥がれない。
この時の夢を見ては、明け方にうなされながら。
ベッドから飛び起きることが、日課となっていた。
私という人間は、根っからのおばあちゃん子というやつであり
どちらかといえば幼少期は、母と過ごした時間よりも
祖母と過ごす時間のほうが長いほどだった。
東京大田区の本門寺(ほんもんじ)に祖母と二人出向いては
帰りにあんみつを食べて帰る。
そんな時間を過ごすことのほうが多かったし
何よりも、心地よかった。
私の母は、といえば。
昔からとても打算的な女性で
一度あっただけの人を「友達」と呼び
よくわからない高そうな鍋のセットを売りつけたり
その大切な「友達」とやらを家に呼び、
私を子供部屋に閉じ込めたあと、朝まで騒いだり
抱いたり、抱かれたり。
今では多少は落ち着いたものの
相変わらず、打算的で、破天荒で
よくわからない女の塊(かたまり)のようになっているのは間違いなかった。
昔から、母から言われていた。
「私は年を取ったと、感じたくないの。」
「だから私はお前の親ではない、私の事は姉だとでも思いなさい。」
頑なに、私は母を「母」と、呼び続けた。
そんな母は、耳を患っていた。
音の無い世界で、過ごす日々はおそらく彼女にとって
毎日が心労の連続で、ただ生きているだけで
私はえらい、私はすごい。と自身を慰め続けるには
私という存在はいささか邪魔だったのであろう。
齢(よわい)5歳にして、母専属の手話通訳士となった私を
母は時として邪険(じゃけん)にし、時として便利な道具のように「使う」ようになった。
商品のクレーム、「友達」とやらからの
怒号。文句。罵詈雑言の嵐。
ちいさな私の体と脳みそを、言葉だけで、声の大きさだけで
まるでアイスピックを脳髄(のうずい)にさし込み
おもむろにかき混ぜてみた、ような苦しみと痛みを
大人というのは、容赦なく、与えることができる存在なのだと
知るには早すぎたのでしょう。
そうそうに私は、心を閉ざしました。
その時、手を差し伸べてくれたのが、祖母だったのです。
その記憶は、いつも、泣きそうになる自分と。
二度と戻っては来ないのであろう、君の
はちみつ揚げパンの匂いと、土埃(つちぼこり)の匂い、そして
ぽおぽおと、別れの挨拶みたいに鳴る船の汽笛(きてき)の音で途切れている。
少し低い視線から見上げる街並み。
隣で、少し高い位置を歩む君。
まるで私は、君のボディーガードにでもなったような気持ちで
君の横から決してはなれず、ともに、ともに歩む。
焦げた醤油のような匂いや、あまいみりんをくたくたに煮込んだ匂い。
ああ、そうか、ここは市場というところなのだ。
君は、がま口をあけると小さな硬貨を取り出し、
パンを揚げたようなおやつを買うと、嬉しそうにそれにかぶりつく。
この時間が永遠に続けばいいのに。
私は、祖母の事を祖母とは呼ばない。
もちろん、名前でも呼ばない。
母とも、おばあちゃんとも。
物心ついてしまう前から、なぜだか祖母のことを
「だーじゅ」「だーじゅ」と呼ぶのであった。
祖母に聞いてみたところ、最初は「だーじゃ」と呼んでいたらしい。
それが年を重ねるごとに、言いやすいほうへ、言いやすいほうへ、と
形を変え、「だーじゅ」という呼び方で
定着をしたようだった。
今思えば、私のだーじゅに対する気持ちや、態度は異常だったのではないだろうか。
一時たりとも、離れたくない。
今ここで離れてしまえば、もう二度と会えないかもしれない。
戻ってこれないかもしれない。
そんな気持ちでいっぱいの胸の中は、毒を喰らってしまったかのように
熱く、痛く、燃え続け、いつも腫れあがり、ただただ「だーじゅ」への気持ちで溢れていた。
「だーじゅ」といるときの私は、終始おだやかで。
一度も反抗をしたことはなく、一度も、怒られたこともなく。
ただただ、そばにいられるだけで、幸せだったのだ。
当時印刷の仕事をしていた祖父母の仕事にも
常に同行し、暇だとも、退屈だとも文句も言わず
工場のすみっこで小さく丸まりながら祖父母の仕事を
じっと見つめてみたり。
ざりざりとお絵描きノートに絵を描いてみたり。
「こんなところまで来ても、面白くないでしょう。」と
はにかんだように笑う祖母をみて、こうしているだけで幸せなのだ、と
何度説明したことだろうか。
印刷塗料のガスくさいにおいや、布のこすれる焼けたようなにおい。
ちかちかと時折切れそうになる豆電球のあかり。
そんな、さまざまないろいろが。
私は、ひどく安心したのだった。
母が3度目くらいに、「友達」にだまされた時。
私はもう、中学三年生になっていた。
相変わらず母からは、ていのいい専属通訳士として
まあまあな扱いを受けてはいたが。
それでも、もう前のように傷つきはしなかった。
すこしずつ、すこしずつ、傷ついた破片を山にして
大人への階段を上っていったのだ。
「その記憶は、いつも、泣きそうになる自分と。
二度と戻っては来ないのであろう、君の
はちみつ揚げパンの匂いと、土埃(つちぼこり)の匂い、そして
ぽおぽおと、別れの挨拶みたいに鳴る船の汽笛(きてき)の音で途切れている。」
あれはそう、中学校の卒業式の日だった。
形式的に、感傷的に、式は滞りなく進められ。
私は、無事に義務教育を終えた。
式の間、だれよりも涙していたのは、母ではなく、「だーじゅ」であった。
普段しない、慣れない化粧をし、それがどろどろに溶けてしまうほど
泣いてくれていた祖母を、なぜか私は誇りに思ったし
その顔を見た瞬間、私も同じように涙が止まらなくなっていた。
「少し低い視線から見上げる街並み。
隣で、少し高い位置を歩む君。
まるで私は、君のボディーガードにでもなったような気持ちで
君の横から決してはなれず、ともに、ともに歩む。」
好きではない相手でも、苦手な相手でも
表面上は笑顔を作って、きちんと相手をする。
俗にいう「社交辞令」というものを、幼くして嗜み(たしなみ)はじめていた私は
母や、父。苦手な叔父や叔母、その他多数のどうでもいい大人たちに囲まれ
中学の卒業を祝ってもらっていた。
「だーじゅ」が、神妙な面持ち(おももち)で
私をじっと見つめているのに気付いたのは、私が何度目かの愛想笑いを
振舞っていたときだった。
「だーじゅ」は、目が合った私に向け、手招きをする。
私は、自身の注いだ三ツ矢サイダーと卒業証書の入った筒を手に持ち
そのまま祖母のそばで座った。
大人たちが酒を飲み、大笑いし、ヤジを飛ばしている中
祖母のグラスに注がれたビールは、一ミリも減らないまま
泡がすべて溶けてしまっていた。
ぽつり、ぽつりと、祖母が口を開く。
「焦げた醤油のような匂いや、あまいみりんをくたくたに煮込んだ匂い。
ああ、そうか、ここは市場というところなのだ。
君は、がま口をあけると小さな硬貨を取り出し、
パンを揚げたようなおやつを買うと、嬉しそうにそれにかぶりつく。
この時間が永遠に続けばいいのに。」
祖母は、ある時、ある事情で祖母の父、私の曽祖父に連れられ
台湾で過ごしていた時期があるという。
なぜだろうか、私はその話が始まると同時に
何か聞いてはいけないことを、今から聞いてしまうのではないか
何かが変わってしまうのではないかと、体中の毛穴が開き、身を震わせていた。
強く握りしめた拳(こぶし)は、汗ですべり、それをぬぐうため
もう明日からは着ない、学ランのズボンでそれを拭きながら
祖母の話に耳を傾ける。
台湾在住中に住んでいた家から、日本人学校に通うまでは
市内の市場を抜けなければならず
当時、子さらいが流行っていたことから曽祖父は
祖母、いや「だーじゅ」のために一匹の老いたドーベルマンを与えたそうだった。
そのドーベルマンは、元々市内の闘犬場で飼われていた気性の荒い犬で
年老いたあとの引き取り先が見つからず、難儀していたらしい。
つらつらと、話す祖母の頬には、いつから流れていたのかわからない涙が
一筋も、二筋も、流れていた。
なんでこんな話で泣くの?そう問いたかった私は、はっと私も涙を流していることに
気づいたのだった。
「毎日、その子のおかげで安心して学校に通えたの。」
「学校の帰り道なんかにね、市場で売ってたおやつを買い食いしてね。」
「その子といっしょにね、分けて食べたの。」
祖母の目は、何かを確信したかのように、じっと私の目を捉えて離さない。
私も、祖母から目を離すことができない。
ただ、この胃のたまり場からこみあげてくるこの気持ちは
不安や、悲しみや、恐怖などではなく。
おそらく愛、だった。
「だーじゅ。その犬の名前って、もしかしてなんだけど。」
少しの沈黙の間。それを破ったのは私であった。
「ロボ、じゃない?」
その一言をきっかけに、祖母はまるで子供のようにわっと泣き始め
人目も気にせずに、私を抱きしめた。
私も、そのまま祖母を抱きしめ返す。お線香のにおいと、印刷塗料のにおいがまじった
「だーじゅ」のにおいがする。
私ののうみそは、すべてを理解して、すべてを思い出し、そして、祖母を抱きしめ続けた。
「やっぱり、やっぱりそうよね。この話、私ね、だれにもしたことないの。」
ロボは、シートン動物記の「狼王ロボ」からとった、と。
声をひきつらせながら、祖母は泣いた。
その記憶は、いつも、泣きそうになる自分と。
二度と戻っては来ないのであろう、君の
はちみつ揚げパンの匂いと、土埃(つちぼこり)の匂い、そして
ぽおぽおと、別れの挨拶みたいに鳴る船の汽笛(きてき)の音で途切れている。
会いたい。君に会いたい。その寂しさと、焦り。
それだけがいつも脳裏にはりついて、剥がれない。
この記憶は。この映像は。
私が、私である以前の。「愛」の記憶だったのだ。
「悲しみ」の記憶でもなく。「捨てられてしまう焦り」の記憶でもなく。
ただ、ただ、君に焦がれる「愛」の記憶であったのだ。
抱き合う二人の周囲だけが、当時の台湾の市場のように
おいしいにおいの煙と、排気ガスのにおい、早口でまくし立てるような喧噪(けんそう)。
その中にいるかのようだった。いや、きっと、そこに居たのは私と祖母ではない。
その場にいたのは、間違いなく、君と、狼王ロボだったのだろう。
ごめんね、ごめんね、一緒に連れていけなくてごめんね。
何度も、何度も祖母が泣きながら謝る。
祖母はいつから、もしかしたら、と考えていたのだろう。
どうしてその話をしたのが、この今の時期だったのだろう。
聞きたいことはたくさんあった。ありすぎた。
でも、そんなことはもうどうでもよくなっていた。
私と祖母は、また会えたのだ。それだけでいい。
君とは、言葉を交わすことはできなかったが、今は、言葉だって表情だって
なんだって伝えられる。
聞きたいことなど、どうでもいいのだ、今は。
ただ、「愛」の記憶だった。それだけで、私は充分だったのだ。
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