am(あむ)(朗読)
「ねえ、どうしてもファックスが送信できないの。」
「ファックス?どこに?」
「あなたの携帯に。」
街の喧噪、というほどの喧噪でもない少しの賑わいに
その声はなんだか掠れてしまいそうで
一体何を言っているのか、一体どういう意味なのかも
いまいちわからぬままに、生返事をしてしまった僕は
この日の出来事を、一生後悔することになる。
後悔が、血潮にしみこみ、体中をめぐっていく。
血がめぐるたびに、僕はこの日、この場所、この出来事を
どこまでもどこまでも、深く深く思い
きっと、おそらく、永遠に、僕を許す事はないだろう。
僕の血には、罪が流れている。
『さとうきび畑のうた』が好きだと彼女は言っていた。
ざわわ、ざわわ、と流れるたびに、行ったこともない
沖縄の大地を想い、もう今は会えない誰かを想い
涙が止まらなくなると、何度も話をしていた。
毎年、掘りごたつに潜りながら、彼女の作った
炊き込みご飯や、てんぷら、僕の好きなつぶあんで作った
大きくて、どっしりとした甘いおはぎ。
あとは時折、チーズがたくさん入っていて、ピーマンをどっさりと
入れて焼いた出来立てのグラタン。
隠し味に味噌と砂糖が少し入っている、喫茶店で出てくるようなナポリタン。
それらに舌鼓をうちながら、彼女の好きな赤ワインをついで
口に含みながら、さとうきび畑のうたを歌う。
「ざわわ、ざわわ」その一言だけで目頭が熱くなる君を
ぼんやりと眺めながら、君の語る思い出や、気持ちを聞くのが
好きで好きで堪らなかった。
君の膝の上にしか、乗らない飼い猫の「アム」。
名前の由来は「愛」だった。
他にも猫が2匹、彼女の家には居て、名前を「ラブ」と「アイ」といった。
全て「愛」なんだ。もし僕が今、愛を語る人間になっているなら
それはすべてすべて、君のせいだと。そう思う。
ボーリングが好きだった。
フォームはとても綺麗で、ストライク以外取ったところを見たことがない。
その放った球は、蛇のようにうねうねとカーブを描き
綺麗に、真ん中のピンを弾きながら、爆発したみたいに
すべてのピンをなぎ倒し、君はそれをすべて見届けてから
ゆっくりと振り返ると、にんまりと上げた口角、とろんとした瞳でこう言うのだ。
「リツコさんみたい?」古すぎてわからないよ、と笑うと
からっからに乾いた、気持ちよく、本当に気持ちのいい笑い声がフロアにこだまする。
そのあと、同じホール内の喫茶店で「チョコレートサンデー」を食べて帰るのが
僕ら二人のお決まりだった。
芋虫を平気で殺す。
蝶々なんかも、割と冷たい眼をしながら、捕まえては踏みつぶす。
「なにしてるの?」僕がそう聞くと君は、猟奇殺人をしたハンニバル・レクターみたいに
低い声でいう。
「私の庭園を、侵略する宇宙人なのよ、こいつらは。」
綺麗に整えられたガーベラ、チューリップ、アロエ、盆栽。
名前も知らない、綺麗に整えられた花たちが君の大事な大事な楽園だった。
「さすがに可愛そうだから、殺す前に僕に頂戴」
複雑な顔をしながら、それからは僕にすべて芋虫を渡すようになった。
僕はいつしか、芋虫を育てる天才になっていて。
専用の小屋のようなものまで作ってしまった。
君はそれを複雑そうな顔をしながらも、それでも今日も楽しそうに
ご自慢の庭園に水をやるのだ。
エビフライが好きだった。
東京都大田区、大森。
「ロングラン」というその店の名前は
マスターいわく「長く長く店が続くように」という意味を込めたらしかった。
店につくとマスターに一言挨拶をすると、マスターは
先週発売の週刊少年マガジンを僕に手渡す。
彼女には、きんきんに冷えたグラスに、氷をたくさん入れたバナナセーキ。
奥側のソファ席に座ると、注文もしていないのに
巨大なエビフライが運ばれてくる。もうそれしか頼まない事も何もかもわかっていた。
タルタルソースをかけながら、その大きなエビフライにかじりつく。
ざくざくと大きめの衣が砕かれながら、ぷりぷりのエビの身を
かじる、噛む、のみこむ、笑顔になる。
「お酒のみたくなっちゃう」
「帰れなくなるからだめ。」
それが週末の僕らのルーチンだった。
「ねえ、どうしてもファックスが送信できないの。」
「ファックス?どこに?」
「あなたの携帯に。」
街の喧噪、というほどの喧噪でもない少しの賑わいに
その声はなんだか掠れてしまいそうで
一体何を言っているのか、一体どういう意味なのかも
いまいちわからぬままに、生返事をしてしまった僕は
この日の出来事を、一生後悔することになる。
後悔が、血潮にしみこみ、体中をめぐっていく。
血がめぐるたびに、僕はこの日、この場所、この出来事を
どこまでもどこまでも、深く深く思い
きっと、おそらく、永遠に、僕を許す事はないだろう。
僕の血には、罪が流れている。
きっとその罪は、一生許されることはない。
いや、僕自身が許すつもりがない。
少し気の抜けた、いや、体中の針を抜いたあとのような
君の声が聞こえる。聞こえる気がする。
聞こえた気がしただけで、僕の耳には届いてないのかもしれない。
いや、きっと届いていなかった、理解できていなかった。
「一生、君が、傍らに(かたわらに)いる想像しか、できていなかった。」
もうご理解いただいているだろう、これは別れの話なのだ。
メールを使うのが苦手だった。
メールだと顔が見えない。どんな声なのかわからない。
怒ってるのか、泣いてるのか、笑ってるのか。
わからないから、だから、私は電話のほうがいい。
そうして君のアドレス帳には、一向にメールアドレスは登録されなかったが
多くの、それはもう多くの人の電話番号が登録されていた。
「この番号の数、私は多くの人とつながれたって思うと感慨深いの」
はにかむ君の顔をかわいいと思った。
いや、正しくは「かわいらしい」と思った。
行きつけの酒屋さんがあった。
その酒屋さんには、君の名前の棚があって
その棚には、君が毎月大量に注文するビール瓶が置かれていた。
僕が家に来ない日は、近所の名前も知らないおじさんや
隣の中華屋さんで働く日本語のあやうい青年なんかを家に招いて
お金も取らずに、ビールと、おいしいおつまみをご馳走していた。
一番おいしい、一番人気のつまみはやっぱりこれなの、と
鶏肉のカシューナッツ炒めを披露する。
時折どんちゃん騒ぎのしすぎで、部屋がめちゃめちゃになっていても
少しも嫌な顔もせずに、終わった宴の片づけを、それはもうニコニコしながら
「ああ、楽しかった」なんて言う君の懐の深さが大好きだった。
いつの間にか、僕も君の真似をしながら料理をするようになった。
「おいしい」って食べてもらえることが、なにより一番のしあわせだと
君が教えてくれたから、僕はいつもキッチンからその顔を
眺めるのが好きになってしまった。
君のやるやり方を真似て、料理は少しずつ、テーブルの状況をみながら
小出しにして、いつでも出来立てを出す。
それをおいしそうに食べる友人を眺めながら、キッチンで飲み干すハイボールが
こんなにおいしいなんて。これはすべて、君のせい。
喧嘩をしたことなんて一度もなかった。
怒ったことも、怒られたことも。一度も。
手をつなぐのが大好きだった。
手は「にぎる」ものではなく、「つなぐ」ものなのだと
気づいたのは君のおかげだった。
手をつなぐのが大好きだった。
僕よりほんの少し小さい背なのに
身体の大きさなんて気にしないような
大きな声で歌いながら
歩く歩道は、なんだか最強で、なんだか無敵になった気分だった。
なんだか霊感も強かった気がする。
「UFOをみた」なんて君が言い出した日から
なぜか僕が返ってくる時間が1秒単位でわかっていた。
家の目の前で車の衝突事故が起きる事も預言していた。
あれってどういうからくりだったの?
本当になんか、そういう、預言者みたいなかんじだったの?
それも今では確認できない。
もしかして、こうなることもあの時預言できていたのかな。
「ねえ、どうしてもファックスが送信できないの。」
「ファックス?どこに?」
「あなたの携帯に。」
街の喧噪、というほどの喧噪でもない少しの賑わいに
その声はなんだか掠れてしまいそうで
一体何を言っているのか、一体どういう意味なのかも
いまいちわからぬままに、生返事をしてしまった僕は
この日の出来事を、一生後悔することになる。
後悔が、血潮にしみこみ、体中をめぐっていく。
血がめぐるたびに、僕はこの日、この場所、この出来事を
どこまでもどこまでも、深く深く思い
きっと、おそらく、永遠に、僕を許す事はないだろう。
僕の血には、罪が流れている。
「ファックスって、何言ってるの?」
しどろもどろになりながら、君は言う。
「あ、そっか、そっか、そうだよね、ごめん、あれ?」
「疲れてるんだよきっと、最近いけてなくてごめんね。」
商店街を通過しながらした電話は、八百屋と魚屋に邪魔をされながら
彼女のうわづった声をかき消していた。
「その記憶は、いつも、泣きそうになる自分と。
二度と戻っては来ないのであろう、君の
はちみつ揚げパンの匂いと、土埃(つちぼこり)の匂い、そして
ぽおぽおと、別れの挨拶みたいに鳴る船の汽笛(きてき)の音で途切れている。
会いたい。君に会いたい。その寂しさと、焦り。
それだけがいつも脳裏にはりついて、剥がれない。
この時の夢を見ては、明け方にうなされながら。
ベッドから飛び起きることが、日課となっていた。」
「何度も何度もごめん。なんかうちの家電に何も書いてないファックスが30枚も送られてきてるよ、どうしたの。」
「そんなの送ってないよ。」
「送られてきてるよ。確認してみて。何か変なボタンとか押してしまってるのかも。」
「そんなことより聞いてほしいの、お隣さんがね、私の庭のガーベラを盗むの。」
「お隣さんが?」
「そう、お隣さんが。」
「松本さんだよね?そんな事するはずないよ。」
「だって本当に盗んでるんだもん。」
「・・・ん?ちょっとまって、ガーベラ?」
「そう、ガーベラ。」
「今、冬だよ?ガーベラは咲かないでしょう?」
「咲いてる、咲いてるよ。」
「『だーじゅ』・・・なんか変だよ?」
「焦げた醤油のような匂いや、あまいみりんをくたくたに煮込んだ匂い。
ああ、そうか、ここは市場というところなのだ。
君は、がま口をあけると小さな硬貨を取り出し、
パンを揚げたようなおやつを買うと、嬉しそうにそれにかぶりつく。
この時間が永遠に続けばいいのに。」
「ねえ、どうしてもファックスが送信できないの。」
「ファックス?どこに?」
「あなたの携帯に。」
街の喧噪、というほどの喧噪でもない少しの賑わいに
その声はなんだか掠れてしまいそうで
一体何を言っているのか、一体どういう意味なのかも
いまいちわからぬままに、生返事をしてしまった僕は
この日の出来事を、一生後悔することになる。
後悔が、血潮にしみこみ、体中をめぐっていく。
血がめぐるたびに、僕はこの日、この場所、この出来事を
どこまでもどこまでも、深く深く思い
きっと、おそらく、永遠に、僕を許す事はないだろう。
僕の血には、罪が流れている。
きっとその罪は、一生許されることはない。
いや、僕自身が許すつもりがない。
少し気の抜けた、いや、体中の針を抜いたあとのような
君の声が聞こえる。聞こえる気がする。
聞こえた気がしただけで、僕の耳には届いてないのかもしれない。
いや、きっと届いていなかった、理解できていなかった。
「一生、君が、傍らに(かたわらに)いる想像しか、できていなかった。」
もうご理解いただいているだろう、これは別れの話なのだ。
彼女の家も、あの庭園も、僕が行ったころには、面影もないくらいに
ボロボロになってしまっていた。
部屋にはたくさんのガムテープが目張りされていて、
コップと、湯飲みと、グラスが、ほんの少しの水やお茶を残して
そこらじゅうに、置き去りにされている。
その記憶は、僕と、彼女の、最後の別れの記憶だった。
永遠なんてない。ずっとそのままであることなんて、おそらくない。
「時間」は、僕の傷をいやし、僕を成長させ、君の隣を歩けるように
君と一緒に、大好きな赤ワインを飲めるように、育ててくれた。
だが、それと同時に「時間」は「永遠ではない」事を
残酷に、僕に知らしめた。
君の記憶が永遠であればよかった。
時間などなければよかった。
あの時、あの場所、あの出来事を、僕は一生、忘れる事はできない。
少なからず僕が、この「記憶」を「時間」に奪われないかぎり。
命は永遠じゃない。
記憶は永遠じゃない。
思い出も永遠じゃない。
いつか絶対に終わりが来る。
僕の罪は、そこに「甘えて」いたことだ。
いつ終わるのかわからない時間の中で、僕らがすべき事はただひとつだった。
目の前の、愛すべきものに、愛すべきことに、こう伝え続けることだ。
「愛してる、ありがとう。」
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