カケヨルメソッド【2】声劇シナリオを書こう! ②「桃太郎」って、なんで「桃太郎」なんだろう?作品の見せたい部分とは
【2】声劇シナリオを書こう!
②「桃太郎」って、なんで「桃太郎」なんだろう?作品の見せたい部分とは
◆「設定」から「問題」を考える事ができた、では次に行うのは?
おそらくその「問題」を考えた段階で、うっすらとキャラクター像が見えてきたように思う。
もしくは初めから描きたいキャラクター像がいるのかも。
でも、少し待って、そのキャラクター像を「完全に確立させてしまう前に」
少し、桃太郎の話をしよう。
①桃太郎って知ってる?
日本人に生まれて、桃太郎というお話を知らない人のほうが少ないかもしれない。
それぐらい有名で、誰しもが知っている桃太郎。
一応念のために桃太郎がどんな話だったか?をおさらいしておこう。
【1】おじいさんとおばあさんが川で大きな桃を拾うと
【2】中から元気な男の子が生まれました。
【3】桃太郎は大きくなると鬼ヶ島へ鬼退治に出かけます。
【4】鬼ヶ島で鬼をやっつけて村を平和にしました。
……まあ、大体こんな感じだろう。地域性や、年代によって微々たる違いがあるかも知れないが基本的に桃太郎のストーリー軸というのはこれ。
桃太郎というのは、物語の構成で言うと「ヒーローズ・ジャーニー」と呼ばれる
1人の青年が英雄になるための道筋の物語である。
身近なもので言うと、「ドラゴンクエスト」や「スターウォーズ」なんかも
この「ヒーローズジャーニー(英雄への道)」と呼ばれる構成だ。
いわゆる、王道中の王道と呼ばれるものなのである。
※ヒーローズジャーニーなどの構成種類に関してはまた別のパートで詳しく話そう、今大事なのはそこではないから。
②桃太郎の作者の意図を「身勝手に」紐解いてみる
「桃太郎」って、なんで「桃太郎」なんだろう?
今回のテーマはこれである。
「桃太郎」って、なんで「桃太郎」なんだろう?というところ。
桃太郎という物語の「見せ場」、いわゆる「クライマックスシーン」はどこだろう?と考えてみる。
そんなの当然「鬼退治を実際にして、鬼を懲らしめたシーン」である。
勧善懲悪で、悪い事をしたら酷い目にあうという教訓。
ただしい事を行うと、良いことがあるという学び。
そういった事が桃太郎には含まれている、だから一番のクライマックスは当然鬼退治シーンだ。
保育園や幼稚園の紙芝居やお遊戯会でもこの部分が一番、力が入るのは当然だ。
先生や園児が一生懸命、戦う場面が目に浮かぶ。
鬼が退治されたら観客はスタンディングオベーション、拍手喝采だろう。
クライマックスシーンは、そこで間違いない。
でも、この桃太郎の作者が「一番描きたかったシーン」というのは
このクライマックスシーンだろうか?
いいや、それであるならばこの桃太郎という物語は
「鬼退治」とか「きびだんご戦記」とか「不可思議珍道中、怪奇!鬼の息の根を止める男」
なーんてタイトルであったはずなのだ。
しかし、この物語は「桃太郎」と呼ばれ続けて居る。
では、桃太郎の作者が一番描きたかったシーンとはどこなのだろう?
そう、気づいた?気づいてしまった?
「桃太郎」とは「桃から生まれた桃太郎」なのである。
この物語、実は「桃太郎が鬼を退治する話」に対して
「桃太郎が桃から生まれ出でてくる意味」や「理由」が必要ない。
別に、桃から生まれた男の子が主役である必要がないのだ。
であれば、単純明快な話である。
桃太郎という話を最初に考えた人間は、鬼退治をする話を書きたかったのではなく
「桃から生まれた男の子」という不思議な存在が、「何かを成し遂げる」話が書きたかったのだ。
つまり、桃太郎という物語で作者が一番書きたかったシーンというのは
「桃太郎が桃から生まれてくる瞬間」なのである。
作者が鬼退治を描きたいのであれば、
村人の1人が奮起し、いや、なんなら山へ芝刈りに行ったおじいさんが噴気してもいい。
努力をし、身体を鍛え、鬼退治に向かう話でもよかったはずなのだ。
③では桃太郎という話がどうやって出来上がったのか?を考えてみる。
先ほどもお伝えしたが、これは「身勝手考察」である。
あくまで皆さんに物語の始め方とはどうするのが書きやすいのか?を伝える為の連想ゲームだ。
「本当に桃太郎の作者はそんな風に考えたんですか?」なーんて無粋な質問はしないように。
では、もう少し解剖してみる。
推察すると、おそらくこの桃太郎の作者は一番最初にこう考えたはずだ。
「桃から男の子が生まれてきたら面白いのでは」これが設定である。
じゃあ、桃から生まれた子は結果的にどんな問題にぶち当たるのがいいのか。
桃から出てくるっていうんだから、そんな子が農業で一位になる話だとなんだか味気ない。
(筆者的には桃から生まれた桃太郎が、全国の米品評会で優秀賞を取る話みてみたいけど)
特殊な生まれ方をしたのであれば、この主人公には「大業」を成し遂げさせたい。
そうか「村が鬼に襲われている」という問題を用意しよう。
しかしここでストーリー構成と、キャラクターメイキングの問題点が発生する。
1,そもそも桃から男の子が生まれるという話に信憑性を持たせる為にはどうしよう?
2,桃太郎が鬼退治しに行くとき、本当に1人で倒しにいけるか?
の2点だ。
1はとても簡単である。
作者としては「桃から生まれた桃太郎」を描きたい。
これが一番描きたいシーンなのだ。ここをブレてはいけない。
では、この桃とはどこから来たことにすればいいのだろうか?
まず考える。なぜ、このおじいさんとおばあさんは「桃農家」では無いのだろうか?
桃が出てきて、なおかつ桃が重要なパーソンとなるのであれば地上
桃が手に入る「ストーリー導線」が必要なはずだ。
例えば、そう、この老夫婦が「桃農家」である必要があったはずだ。
もしくは、山の中に不思議な桃の木がある、なんて設定でも良いかもしれない。
しかし、思い返して欲しい。
桃太郎の話の始まりはどうであったのか?
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。」
普遍的な日常である事の説明がなされている。
「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」
ここで普通なら、桃といえば山である。おじいさんが山を発見するべきなのだ。
「すると川上から大きな桃がどんぶらこどんぶらこ」
ここだよ!!!
おかしいだろ、なんでだよ。山の恵みは山で発見されろよ。
しかし、結果的にこれでよかったのだ。
なぜならこの大きな桃は普通の桃ではない、赤ちゃんが中に入った不可思議な桃なのだ。
山でとれた大きな桃をおじいさんが持ち帰り、その中から赤ん坊が出てきたという設定でこの話を動かしたとしたら「ではなぜ、その山の桃からは男の子が出てきたのか」という余計な話を説明する必要がある。
と、いうよりそれを説明しなければ納得しない人間が出てくる。
しかし、それをこの「桃太郎」の作者はとある方法でクリアしたのである。
「すると川上から大きな桃がどんぶらこどんぶらこ」
言い換えるとこれは
「ある日突然目が覚めると俺は異世界にいた」
と、同じなのである。
不可思議な存在を、不可思議な現象で生まれたと説明することで
それ以上でも以下でもない、ある日突然不思議な桃が現れてそれが赤ん坊になって
鬼を退治したんだよ。という一見、無理矢理な設定に、信憑性を持たせたのである。
ここで大事なのは、作者は「川上から大きな桃が流れてきた」部分から書いたのではなく
おそらく「桃から男の子が出てくる」シーンから考えたという話である。
あとでもう一回出てくるから覚えておくように。
2の「1人で倒せるのか問題」は、きびだんごによる犬、猿、雉を仲間にすることでクリアした。
いや、結構無理矢理だよ、きびだんごで仲間になるってどういうことなんでしょう。
しかも犬と猿と雉、そこは犬と猿と雉じゃないといけなかったのでしょうか?
いけなかったのです。
なぜなら、桃太郎は不可思議な存在。ここで普通の村人を仲間にした瞬間にこんな事が読者の頭には浮かぶ。
「ほな、その村人が主人公で、めっちゃ鍛えて鬼退治行けばよろしかったのでは?」
その通りである。村人で力を合わせて鬼を倒しにいけばよかったのである。
しかし、それができない村であるのだ。これもひとつ、「問題の作成」であるかも知れない。
「人がそもそもいない」「戦える勇気の在る物が居ない」そういった問題が発生しているのだ。
結果、犬は喋るし、猿も喋る、雉もめっちゃ喋る。
不可思議な英雄を引き立てる為に、不可思議な仲間が道連れとなった。
これも、「桃から生まれた男の子を主人公にしたい」「このシーンが見せたい」という考え方がそこになければ絶対に生まれない構成なのだ。
ここで大事なのは、作者は「川上から大きな桃が流れてきた」部分から書いたのではなく
おそらく「桃から男の子が出てくる」シーンから考えたという話である。
もう一回出てきた。この考え方はまたもう一回くらい出てくるかも知れない。
何回も言っちゃうけど、本当に鬼退治がしたいのなら村人総出で武器を持って鬼を退治する話でよかったのだから。
以上のことから、この「桃太郎」という話はおそらくは
「桃から男の子がでてくる」というシーンを最初に考えて、話の構築が作られている。
ここで気づく人は気づくかも知れない。
考えてみよう。先ほどの4コマを思い出しながら。
③起承転結をゴミ箱に捨てろ。
このパートでは、かなりとんでもない事を言う。言い始める。
もしかすると、学校の国語の授業で教わったことと真逆かもしれない。
でも、声劇シナリオを書く時に一度これを理解すると、
「何を書けばいいかわからない」
という状態から抜け出しやすくなる。
そのとんでもない話とは、
「物語の書き出しを考える時、一度 起承転結 という概念をそこのゴミ箱に捨てろ」
である。
いやいや待て待て。
起承転結って物語の基本じゃないの?
そう思う人もいると思う。
もちろん、最終的には必要だ。
物語には流れが必要だし、整理も必要だし、読者が理解できる構造も必要。
でも問題は、
「最初にそこから考え始めること」
なのである。
さあ、もう一度出てきたこの桃太郎のあらすじが書かれた4コマ漫画。
実はこれ、起承転結になっている。まあ、4コマなんてすべてが起承転結なのだ。
では、この桃太郎という話。起承転結の「起」から考えられているだろうか?
いいや、違うということはもう皆さんおわかりのはずだ。
思い返してみよう、この桃太郎という物語はどのシーンを描きたくて生まれたのか?
そう「2」の「桃から男の子が生まれたシーン」だ。作者はここが書きたかった。
ということは、桃太郎という話は「起承転結」の「承」から描かれたことになる。
「承」のシーンから、「そのシーンをどうすれば表現できるか?」を考えて
桃は川上からどんぶらことやってきたのだ。
◆起承転結から考えると、何が起きるのか?
起承転結から物語を考え始めると、多くの場合こうなる。
「起」で状況説明をして、
「承」で話を広げて、
「転」で事件を起こして、
「結」で綺麗に終わらせる。
たしかに理路整然としている。
綺麗だ。
まとまっている。
でも、その代わりに起きやすいことがある。
「書きたいシーンが、ぶれる」のである。
なぜか?
起承転結から考えると、
「この場面の次にはこれが必要」
「ここで説明を入れなきゃ」
「ここで展開を作らなきゃ」
と、「構造」が優先され始めるからだ。
するといつの間にか、
「本当は何を書きたかったのか」
が薄れていく。
つまり、「綺麗な物語」はできる。
でも、
「自分が本当に書きたかった物語」
ではなくなる場合がある。
起承転結は物語には必須である。そう、物語は最終的に整える必要があるからだ。
でも、「物語を書き出すとき」「物語を考えるとき」
起承転結の「起」から、馬鹿真面目に物語を考える必要はない。
書きたいシーンや、書きたい場面、ここだけは絶対に見せたいというところから
その話の前後を考えていいのだ。
◆クライマックスと「見せたいシーン」は違う
ここがかなり重要だ。
物語には、クライマックスシーンが必要だ。
盛り上がりも必要。
事件も必要。問題も必要。
でも、
「クライマックス=作者が本当に見せたいシーン」
とは限らない。
たとえば桃太郎で、作者が本当に見せたかったのは、
桃から子供が生まれる瞬間
老夫婦が喜ぶ場面
桃太郎が旅立つ瞬間
「行ってきます」と背中を見せる瞬間
だったのかもしれない。
鬼退治は、その「見せたいシーン」を成立させるために必要な物語の流れだった可能性がある。
つまり、
作者が本当に描きたかったのは、
「鬼を倒すこと」ではなく、
「桃太郎という存在」
だったのだ。かもしれない。そうだと思う。だってそう見えるもん。
◆物語は「見せたいシーン」の前後を作る作業
では、実際にどう考えればいいのか?
答えはシンプルだ。
「まず、自分が一番見たいシーンを考える」
のである。
たとえば、
「強気なキャラクターが、初めて泣くシーンを書きたい」
と思ったとする。
すると自然と、
・なぜそこまで追い詰められたのか?
・誰の前だから泣けたのか?
・何を失ったのか?
・その後どうなるのか?
という、「前後」が生まれてくる。
つまり、
物語全部を最初から組み立てるのではなく、
「見せたいシーン」を中心に、前後を育てていく。
これが、「書きたいシーンから物語を考える」という事なのである。
◆「あなたの物語の桃太郎」は誰だろう?
戦争を書くのか。
それとも、
戦争の中で泣いている少年を書くのか。
魔王討伐を書くのか。
それとも、
魔王を倒したくない勇者を書くのか。
学園を書くのか。
それとも、
その学校で孤独を抱えている少女を書くのか。
物語を書く時に重要なのは、
「どんな設定か」だけではない。
「その物語で、自分は何を一番見せたいのか」
なのである。
◆最後に
書き出しに迷った時、
起承転結を考え始める前に、
まずこう考えてみてほしい。
「自分は、この物語のどの瞬間を一番見たいのか?」
そのシーンが見えた瞬間、
キャラクターの感情が動き始める。
そして、その感情を成立させるために、
前後の物語が自然と生えてくる。
物語とは、
「構成を当てはめるもの」ではなく、
「見せたいシーンを中心に育てるもの」なのかもしれない。
◆次回 魅力的なキャラクターとは
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