R(朗読)
1999年、7の月。アンゴルモアの大魔王は、ついにこの地球に降り立つことも無く、
僕は今日も生き長らえることに成功してしまった。
「貴方のセックスの仕方が好き。」と甘えてきたあの子は、最後には。
「貴方はきっと誰にだってそうなんだわ。」
「例え相手が、人の形を成してなかったとしても、貴方は、上手にセックスをするのだわ。」
と吐き捨て、僕はいきつけのジョナサンで水浸しになった。
その後の帰り道で、何度も君の言葉がリフレインしたのは言うまでもなく。
夏の夜の風が、少しも服を乾かす事もなく、僕を通り抜けていく
その感覚が、酷く恐ろしかった。
「それにしても。勿体なかったな。」
アルバイト仲間の岸沢がにやけながら言う。
「恋愛なんて、どうだっていいよ。お互い気持ちよくなれた、充分だろ?」
「ちげえよ、携帯小説のほう。」
ああ、と朧気な記憶を呼び戻す。
タイムカードをレコーダーに通すと、アブラゼミのような鳴き声を発して僕の一日が終わりを告げた。
「お疲れ様。」小太りな店長は、こちらを見もせずに、簡単な挨拶だけを発する。
「お疲れ様です。」こちらも、一度も顔を見ぬまま、更衣室へと退散した。
「折角、いい話が貰えそうだったんだろ?」
岸沢は、しつこく、そのにやけ顔をこちらに向ける。
「いいんだよ、もう。」
制服を脱ぎ散らかしながら、自身を剥いでいくその姿は、
自身の分身を殺していく姿と酷く似ていて、いち早くこんな地獄から脱したかった。岸沢がまだ続ける。
「だって、下手したら一攫千金だぜ?」
「そんなんじゃないよ。」
「知ってるだろ?恋空、ディープラブ。」
「だから、そんなんじゃないって。」
「女にも、物にも困らないぜ、絶対。」
いい加減にしてくれ。
脱ぎ散らかした制服を、adidasの黒い鞄に荒々しく突っ込むと、そのままに僕は事務所を出る。
『宜しければ、次世代のクリエイターとして座談会に参加しませんか?』
そのメールが僕のパソコンに届いたのは、先月の事だった。
白々しく書かれたその文言を、
当時の創作仲間や、僕に盛大に水をぶっ掛けたあいつは『ついに時代がきた』と、黒く訝しげに落ちていく僕を置いて、勝手に盛り上がっていく。
その交わることのない空気感が、僕の気持ちにトドメを刺した。
『お断りします。ファック。』
そう返信したと周りにバレた時の非難といえば、
今まで見たこともない、滑稽な様子だった。
ただ、自分の『感傷』を言葉にしただけだ。
その、酷く膿んだ、臭いを発する僕の文章が。たまたま、同じ傷を持ち、
同じように『暗がりに居たがる』人種に、共鳴に似たようなものを与えただけで。
僕に、才能なんかがある訳がなかった。では努力をしたのか?
いいや、そういうわけでもなかった。
読み上げられれば、読み上げられるほどに。持て囃されれば、
持て囃されるほどに、中身のない、空っぽな僕を嘲笑われているかのように。
そこに『愛』なんてなかった。
そこに『文学』なんてなかった。
だから僕には、『セックス』しか無かった。
セックスは良い。簡単に気持ちよくも、幸せにもなれる。
相手の敏感な部分に触れ、やめてくれと懇願する相手の泣き顔が、無性に気持ちよかった。制圧し、その反応がこの右手ひとつで
天国にも、地獄にも成りうる。
そんな、綱渡りをしている感覚が、心地よかった。
自身を果てさせることなど、出来なくてもよかった。
ただ、よがる相手を。ただ、喘ぐ相手を。満足げに、見つめる事ができるだけで、満たされたのだ。
『そうやって、目の前の歯触りのいいものだけ平らげたんだ。』
ああ。その通り。その通りだった。
『自分から、如何に汚いものが出るのか。』
そう。それを、見られたくなかった。
『だから、愛を語った。』
だから、愛を、騙った。
『空っぽな身体には、』
空っぽな心には、
簡単に、愛で満たすことができた。
「君の文章は、気持ちが悪いよね。」
「なんというか、こう、自慰した後の洗っていない手で、書き出したような。」
「そんな、気持ち悪さだ。」
その評価をくだした彼の言っていることは、僕が僕を思っている以上に、正しかった。そして、僕をわかっていた。
座談会に、なんの気もなしに参加した彼は、その当日に。ついに自身の作品が書籍化することを大々的に告知をしていた。
叩きつけられた。低い位置だったはずの場所から、振りかざし、肩が抜けるほど振りかぶり、叩きつけられた。
僕はただの、地を這うアリだった。
『これでよかったんだ。』
そう言い聞かせた日々は、実に灰色で。
そのただの自慰の産物に、僕自身がまさか救われていただなんて思いもよらなかった。
何度、身体を貪っただろう。
何度、それを愛と呼んだだろう。
この汚いものが、すべて、僕のものではない誰かのものであったなら、よかったのに
「ねえ、君さ。ポエトリーリーディングって、興味ない?」
何度か身体を重ねた子からの、急な連絡だった。
「ポエトリー……なに?なんだって?」
「ポエトリーリーディングって知らない?」
「なにそれ。」
「詩の朗読だよ、朗読。」
書いてたよね?詩。
彼女の声が、折りたたみ携帯の通話口からでもわかるくらいに、イタズラに笑っているのがわかる。
「書いては、いるけど。」
「だよね、なんか、恥ずかしいやつ。」
「電話切るよ」
「嘘だってごめんごめん。」
「明日の夜。高田馬場駅。20時にきて。」
「高田馬場?」
「そう。近くにビレッジバンガードもあるから、私さきに来て、そこにいるね。」
「ビレバン、好きだね、ほんと。」
「君も好きでしょ。」
「……うん。」
「じゃあ、待ってるから。」
電話を切ってから、再度、ベルが鳴ったのはすぐだった。
「言い忘れてた。君、自分が書いた詩、持ってきて。」
嵐のように過ぎ去った彼女とは、もう長いこと会っていなかった。
デートと称された、ラブホテルまでの道のりは
どうやら彼女にとっては大事なものであったらしく。
それに付き合うことも、きっとその時は、確かに楽しさを覚えたのだろう。
やれ美味しいラーメンがあるだの、やれ犬が飼いたいから見に行きたいだの。
それが、不思議と心地よくもあったが。
そういえば、何で彼女とは会わなくなってしまったんだっけ。
別に、彼女の言う通りにする必要もなかった。
多分これは、あれだろ。
そのポエトリーリーディングとやらを、させようって、そんな魂胆なのだろう?
どこで聞いたのか、落ち込む僕を、無気力な僕を。
励ましなのか、なんなのか。わからないけれど。
学生時代に、書きなぐったキャンパスノートを、ホコリを払いながらその手に取る。懐かしい、紙の匂いがする。
そこには、くだらない、チープな、幼稚な、言葉の羅列が。
ただ、なんとなく、形を整えて、並べてあっただけだった。
『君の書くものは、気持ちが悪いよね』
あいつの言葉が、ねばっこく、この肺を満たしていく。コールタールを一気飲みしたかのような、どす黒いモヤに侵されながら
『スペルマのにおいが、する。』
書きなぐったのであろう、強い筆圧に、へこむ紙。窓を開けた、注ぎ込まれる、薫風。生ぬるい風は、お隣の家の蛍族のたばこの煙を僕の部屋に運び。
ちかちかと今にも切れそうな蛍光灯を後目に、タオルケットにくるまった、僕は、なんて無力なんだろう。
銀河鉄道の夜が好きだった。
時生が好きだった。
星の王子さまが好きだった。
乙一が好きだった。
バトルロワイヤルが、好きだった。
岩井俊二が好きだった。
フランツ・カフカに吐き気がした。
エリオットが愛しかった。
何度、たった一冊のノートを抱いて眠っただろう。
何度、眠れぬ夜を、物語と過ごしただろう。
ただ、ただ僕は、ただ僕はその舞台に少しだけ、登って見たかっただけなのだ。
ただ、ただ僕は、そこから見える景色がなんなのか。
ただ、知ってみたかっただけなのだ。
一攫千金とか、そんなんじゃない。
口に出さなかっただけだ、そうだろ。
わかっていた。はずだ。
『携帯小説』というものの可能性に、惚れたんだ。期待したんだ。胸が踊ったんだ。
ああ、文章の途中にQRコードを配置しよう。
そのQRコードを読み取ると、その文章に関連した音楽が、背景が、映像が、流れ込んできて。
言葉だけで紡げない、僕の脳みそのすべてを詰め込んで。
ああ、そうだ。
それならこの文章は、あえてわからないようにしよう。
そうか、動画を見た人と、見なかった人とで解釈が変わるように仕掛けをしよう。
ああ、そうだよ。
『わかってたよ。』
悔しかったんだ。
『怖かったんだ。』
そんなチープな何かが、
『僕のすべてで』
そのすべてが
『そのすべてを、』
見比べられたら。
『見比べられたら。』
楽しかったんだろう?
文字を紡ぐことが、何かを考えることが、そしてそれを誰かに読まれて、その先にある何かを感じ取ることが。
『そう、その通り。』
でも、あいつのその言葉が
図星だったんだ。なにもかもが、図星だったんだ。
なにも、言わなかった。
涙すら出なかった。どうすればいいのか、わからなかった。
ただ、筆をおる事は、おる事だけは出来なかった。
ポエトリーリーディング?
知らないよ、そんなの。
でも、その知らない言葉に、何でこんなにも胸が踊るのだろう。
どうして。
意識を取り戻したのは、もう昼過ぎだった。
溶け込んで、暴力的になった感覚が弾けるまで、消え失せるまで、何遍も、何遍も。
書いては、破り捨て、書いては、破り捨て。
すべての毒気が抜けたとは言えなかった、でも、書き上げたそれからは、誰かを殺すような、そんな言葉は微塵も感じなかった。
開けっ放しの窓からは、公園でキャッチボールをする親子の楽しそうな声が漂ってくる。
眠い目を擦りながら、そういえば久々にセックスも自慰も、なにもせず
『眠れた』んじゃないか。なんてことを考えながら、夜までの時間を、その書きなぐったひとつの詩を、
「……これ、詩なのかな。」
眺めながら、過ごした。
「案外早かったじゃん。」
高田馬場駅に降り立つと、駅の改札には彼女がいた。
「……まあ。」
「感心ですなあ。」
「ビレバンは?」
「ぶっちゃけいつでも見れる。」
「……はあ。」
「さ、行こうじゃないか。」
「ところで、何処に連れて行こうっていうのさ。」
僕のその問いかけを、彼女はまさに、待ってましたと言わんばかりのにこやかな顔で答える。
「ベンズカフェ!!!」
「ベンズカフェ?」
「チーズケーキが美味しいよ。」
「え、待って。ポエトリーリーディングがどうのって言うのは?」
「そう、ポエトリーリーディング。」
「……え?だってカフェ。え?」
「いいから。」
なにも説明を受けぬままに、大通りの坂をあがっていく。
ふとした小路を左に曲がる。また坂がある。彼女は、何も言わない。けれど、どこか、楽しそうだ。
僕は、どうだろう。なんか、振り回されてるだけな
気もしている。
駅方面に進むサラリーマン達の表情は、なんだか疲れきっていて、逆走するかのようにその並を割って歩く僕らは、何か悪いことをしてしまってるんじゃないかって。
罪悪感と、ほんの少しの冒険心で、満たされていた。
ベンズカフェとやらの、店先につく。
数個ある、外テーブルでは、鼻の高い外人がハイネケンなんかを飲んで、やたら楽しそうに、僕のよくわからない言葉で、女性を多分口説いていた。
ずいずいと、彼女が店内に入っていく。扉を開けた瞬間に聞こえたのは、拍手だった。
「ご清聴、ありがとうございます。」
店内はそこまで広くない、広くないのに、そこにぎっしりと人、人、人。
奥のこじんまりとした、気持ちだけ高くなったステージに、スタンドマイクが立てられている。
「……今入ってきたそこの君、扉ちゃんと閉めてね。」
あっけに取られていた僕に、注目が集まる。
「す、すいません。」すぐに扉を強くひき、きちんと閉じたことを確認する。彼女はちゃっかりと、すでに席につき、2人分のコーヒーとチーズケーキを頼んでいた。
司会進行と思われる男性が、次にステージに立つであろう男性に声をかける。
背が異様に低く、右腕がひしゃげている。顔面も強く強ばり、喋るのもやっとのように思えた。
店内のすべての視線が、彼に集まる。
「ぎょうは、よろじぐ、おねがい、じまず。」
詰まったような話し方で
彼はそのまま、スタンドマイクを見つめた。そのあと、僕らギャラリーをぐるりと見渡し、言葉を続けて言った。
「今日一日の、命に感謝したい。」
「今日一日の、僕の食事に、感謝したい。」
「僕は1人では、なにも出来ない」
「あなたを愛することすらも」
「君がいなけりゃはじまらない」
なんてことの無い、ただの文章だ。
声だって、話し方だって、お世辞にもカッコイイなんて思えない。
素晴らしいだなんて、言えない。
そう、想像していた。
そう、決めつけていた。
でも今始まった、これはなんだ。
「優しく包まる、ことも簡単じゃない」
「あなたに手紙も、書けやしない」
「愛してるよと言うことすらも」
「難しいこの体で」
「じゃあなんて伝えよう」
「じゃあどう生きよう」
店内には、彼の、強くどもった声しか聞こえない。
このオシャレな空間で、オシャレじゃない声で。
いまこれは何がはじまっている。
いま僕はなにを、見せられている。
チープな文章だ。
チープな言葉だ。
どこぞの、なんで売れたのかもわからない幼稚な携帯小説と、なんの変わりがある。
チープだ!チープな
表現だ!宮沢賢治はこんな風に愛を語らない!東野圭吾は!岩井俊二は!エリオットは!こんな言葉を絶対に選ばない!!!!
でも、でも。
なんでこんなに、心が震えるんだ。
ただ、一人の身体に障害を持った男性が、愛しい誰かへの愛を語った、ただそれだけの詩だ。
ただ、ただそれだけなのに。
どうしてこんなにも悔しい。
どうしてこんなにも、目が話せない。
どうして、この声が終わらないで欲しいと願っている。
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、
彼女がこちらを時折見ているのがわかる。
ふと目線を彼女に配ったとき、声を出さずに彼女は言った。
『してみたく、なった?』
……なった。
彼の朗読が終わったあと、どうやら休憩時間となったようで、僕の元に司会進行の男性が近寄る。
「ああ、君が例の。」
どうやら彼女と、彼は知り合いらしい。彼女がこそこそと、彼に耳打ちをする。
うんうん、と僕にはわからない意思疎通が取られたあと、彼は言った。
「持ってきた詩、見せて。」
「持ってきたでしょ?詩書いたノート。見せて。」
彼女が言う。それに対して、首を横に振った。
「え!もってきてないの!」
「……もってきた。」
「なんだ。」
「……いっこ、だけ。」
今朝方書き上げた、あの、ひとつの詩を書き上げた、ノートの切れ端を。
彼女に渡す。
「……これ、ひとつ?」
首を縦に振る。
「……読んで、いい?」
首を、縦に振る。
彼女と、司会進行の男性は
そのノートの切れ端をじっと、見つめた。目線が縦へ、縦へと流れる。
周りのカチャカチャと食器が擦れる音が、異様にデカく感じる。
コーヒーは、もう冷めてしまった。
「……いいね。やってみなよ。」
「……いきなり?」
「うん、いきなり。」
「……やったこと、ないよ。」
「みんな、そうだよ。」
「できるかな。」
「できるかな、じゃないよ。」
もう、やりたくて、たまんないんでしょ?彼女が言うと、司会進行の男も、笑った。
心臓の音が、こんなにはやるのはいつ以来だろう。
小学校の演劇の授業で、たった一言のセリフを任された時だっただろうか。
演目は『人間になりたがった猫』、セリフは一言『水よ、みんなで水を運ぶのよ。』ただそれだけ。
ただ、そんな一言のためだけに、何日も。何日も。学芸会の
ためだけに、セリフを練習したのは、一体なんだったのか。
あの、たった一言のための、あの楽しい時間はなんだったのか。
名前が呼ばれ、1歩ずつその小さな壇上へと足を進める。
心ばかりの小さなスポットライトが、壇上にあてられているのが分かった。
スタンドマイクは、思ったよりも細くて、寄りかかれないことが、わかった。
こんなにも多くの目に晒されると、僕は足がすくんでしまうことが、わかった。
「さあ、どうぞ。」進行の男が、言う。
人の目線は、どのスポットライトよりも熱く、自身の身体に突き刺さる。
心臓が鳴り止まない、いや、いい、鳴り止まないでいい。
でもこの手汗だけはなんとかならないのか、いや、もう、始めなきゃ。
読まなきゃ、ほんとに?読むの?これを?嘘だろ。
こんなの詩じゃないって、思ったのに。
「よ、よろしくお願いします。」
一言、頭をさげる。
顔をあげた瞬間目の前の目線は「人」ではなく「人間」だった。
なあ、はじめ。
知ってるか。
お前がずいぶん毛嫌いしている、チンピラの田口は
将来お前なんかより良い父親になるんだ
それはもう驚くほど家族思いの良い父親だ
だが相変わらずお前は彼と馴染めない
なぜって、お前の嫉妬心に屈するほどやつは弱くないし
お前もお前で、実は案外どうでもいいからだ。
なあ、はじめ。
知ってるか。
お前が大好きだったあのバンドは、メンバーの覚醒剤所持でもう解散したよ
相変わらず良い歌だけど。
なあ、はじめ。
知ってるか。
お前の住んでいたあの下町は、ついに開発が進んで
あのやたら開かない踏切も今じゃコンクリの高架下だ
もう二度と開くことはないってさ
町はすっかり綺麗になって
老人や障害者が住みやすい良い町になったよ
でももう赤い電車は見えない
見えないんだ。
なあ、はじめ。
知ってるか。
お前が付き合ってるその、香水のきつい女だが
お前が仕事を首になった翌日に通帳と印鑑を持って逃げるぞ
そのあとお前は近所のジョナサンでしばらく途方に暮れるが
そこの今、コップを盛大に割った女を忘れるな
そいつが将来のお前の嫁だ。
なあ、はじめ。
知ってるか。
専門を中退してからも、良くしてくれた
ゆきちゃんを覚えてるか
いますぐ彼女にお前の精一杯を捧げろ
お前ができるすべてをしろ
二○○九年の夏に
本当に唐突に
しんでしまうから
そして、お前は彼女の通夜にいけなかったことを
しぬまで後悔することになる
コールドプレイなんて聴くたびに
なみだがとまらなくなるんだ。
なあ、はじめ。
知ってるか。
お前の柿アレルギーは一生治らない
だからお前はもう二度と柿を口にすることはない
だから
たまには婆ちゃんに顔を見せてやれ
お前がまだ柿が好きだと思って
毎年送ってくれてたのに
もう今じゃお前の事なんて一ミリも覚えちゃいないんだから。
なあ、はじめ。
知ってるか。
そのホームでは年間三十人が飛び降り自殺をするそうだ
そのたびにそのホームでは不吉な噂が流れる
死にたがりが集まる呪いのホームだって
でももしお前がその目の前の学生服の肩を掴めたら
そんな嫌な噂が一つだけ減るんだ
まあただそれだけのことだが。
なあ、はじめ。
知ってるか。
年金はきちんと払わないといけないんだ。
なあ、はじめ。
知ってるか。
赤ん坊は案外グロテスクに生まれる
だがグロテスクなだけにお前はその光景を絶対に忘れない
血のにおいと消毒液のにおいに
何度か吐きそうになるが
そこは踏ん張れ
彼女がお前の名前をよんだとき
お前はなみだがとまらなくなる。
なあ、はじめ。
知ってるか。
お前が好きだった漫画は実は未だに完結していない
驚くくらい長くなりすぎて
もう主人公が三回も変わってる。
なあ、はじめ。
お前の居るその場所が
俺のすべてだと言ったら
お前は笑うだろうか。
なあ、はじめ。
いつかは必ず世界を旅しろ
はじめての給料で買ったその一眼レフを首からさげて
必ず世界を旅しろ
その時お前はパレスチナの内戦に巻き込まれてしぬが
お前のしがパレスチナの何億というにんげんを救うそうだ
ただ、お前の家族は誰ひとり救われない
ずっとその国を恨んで生きることになる
やっと歩けるようになる子供はもうお前の顔を思い出せなくなる
だがお前は必ず世界を旅しろ
必ずだ。
なあ、はじめ。
知ってるか。
お前は生まれてきて良かったんだそうだ。
口が、滑る。
がたがたに、歯が鳴る。
言葉を発する度に、声を出す度に。
胃の中のすべてが、出てきてしまいそうになる。
ぽつり、ぽつりと、読み上げる。
目が汗で滲む。
ノートの1切れも、手汗でくちゃくちゃだ。
でもどうか、誰も、この時間を止めないで。
どうか、このまま最後までやらせて。
かっこ悪い、この姿のまま、最後まで。
誰も、止めるわけが無かった。
一人一人の紡いだ言葉が。
一人一人の発する言葉が。
たとえどんなにチープな表現でも。
たとえどんなに幼稚な言葉でも。
そこに含まれた気持ちは、本物なのだということが、その場にいる誰しもが、わかっていたから。
止めるわけが、無かった。
「なあ、はじめ。」
「しってるか。」
「お前は、生まれてきて、よかったんだそうだ。」
言い終わった。読み終わった。
その時、すぐに拍手が鳴った。
全員の目線が、ここに集まっている。
この拍手は、誰でもない、僕に向けられた拍手なんだ。
そう思っただけで、目頭が熱くなる。
どこにもない『愛』がそこにあった。
舌触りのいい『愛』かもしれない、時には真実の愛も、そこにはあるのかもしれない。
「どうだった?」
彼女の言葉に、素直に答えることが出来たのは、何故なのか。
「最高だった。」
即興で言葉を紡ぐ人、
ギターで弾き語りをする人、
言葉が、
文章たちが、
チープに、
軽やかに、
空気中に舞っていた。
舞っていたから、
心地よくて、
心地よくて、
愛しかった。
「ねえ、どうよ?ポエトリーリーディング。」
「……凄かったよ。」
「これならさ、ちゃんと向き合えるんじゃないの。」
「……。」
「ね、名前つけてよ。」
「名前?」
「そう、この物語に、名前。」
「物語って……。」
「皆が、見てるよ。」
「わかってるよ。」
「ほら、いい名前をさ。」
「……R。」
「R?なんで?」
「……POEMの、はじまりを、支えるから、R。」
「……くっさ。」
「うるさい。」
「でも、良いと思うよ。」
「ありがとう。」
「ねえ。」
「……なに。」
「君は今日、なにをしたのかな?」
「……なんだよ。」
「聞かせてよ。」
「……俺がしたのは、ポエトリーリーディング。」
「今日、ベンズカフェで。」
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