「あなたと花弁」(0:0:1)
一人用朗読台本
語り部:プラスチックの涙だった。 語り部:ヘッドホンで塞いだのは、
語り部:街の喧騒(けんそう)を聞かないための耳だけじゃなく、
語り部:おそらく貴女を渦巻く(うずまく)総て(すべて)の物を過去にするための、
語り部:心だったんだろう。
語り部:そこには心が在った(あった)。
語り部:間違いなく心が在った。
語り部:雨上がりの虹には感動し、
語り部:どことも知らない紛争地域で、
語り部:一欠片のパンの為に銃を手にした少年の話には涙をしたし、
語り部:やる気もなくただ遊び呆けるこの街の若者たちに呆れたりもした。
語り部:「A地点からB地点までは、確かに人間だった。」
語り部:それは私も理解っている(わかっている)。
語り部:この手の奥で握る事の出来なかった美しさの子供たちの手を、
語り部:私はまた、突き放しているのだ。
語り部:「ねえ、さっきから要領(ようりょう)を得ないよ。一体なんの話なの?」
語り部:きんと冷えたレモネードの氷が互いに溶け合い、
語り部:かろんと音を跳ねるまで私は何も言わなかった。
語り部:「私はもっと芸術に触れたかった、ただそれだけの事を言い訳がましく語りたかっただけよ。」
語り部:燻(くゆ)らせた紫煙(しえん)は、
語り部:貴女に触れぬよう私の右側にだけ吐き棄てる。
語り部:左側は誓いの場所だから、私は右側に吐き棄てる。
語り部:ぷかぷかと浮かび上がりながら霞み(かすみ)となる煙と私の小言は、
語り部:レモネードの熱を奪うには少し足りなかったようだ。
語り部:結露したグラスを指でなぞりながら貴女は、そう貴女は。
語り部:「あなたの言葉はいつも難しくてわからない。」
語り部:少し膨(ふく)れた顔を見せながらいう貴女の横顔を観ながら、
語り部:私はすべてを誤魔化して貴女の頰にキスをするのだ。
語り部:「なんてことない、私は今日も貴女を抱きたいよってだけの話よ。」
語り部:馬鹿、そう言うと彼女は昨日よりも愛らしい瞳で私の腕の中へと収まる。
語り部:そう、私は馬鹿なのだ。でもそれでいい。
語り部:このレモネードの氷が総て溶けきってしまうまでに、
語り部:貴女に何回口づけをしよう。何回肌を重ねよう。
語り部:そんなことで脳みそを総て、本当に総て、使ってしまうのだから。
語り部:「本当に私でもよかった?」 語り部:「あなただからよかった。」
語り部:「あなたに挿入(い)れてあげられるもの、ないよ?」
語り部:「無かったら何か困るの?」 語り部:「んー、いや、困らない。」
語り部:絡(から)み合いながら、夏の夜の帳(とばり)が私と貴女を包んで行く。
語り部:流したのは、プラスチックの涙だった。
語り部:人ではない何かが、女ではない何かが、
語り部:私の中に巣喰いながら、
語り部:貴女を、求めている。何度も、何度も、撃たれた鳩のように鳴く貴女を腕に抱きながら、私はプラスチックの涙を流していた。
語り部:結露したグラスから、
語り部:たらたらと伝い、
語り部:机は水浸しになっている。
語り部:それでいい、もう、それでいい。
0コメント